アートあそびの時間は、
「自分という人間を表現して生きる」ために
自分は何が好きで、何を心地よいと感じ、何が楽しいのか
自分を確認していく、表現していく時間であり
自分の表現を誰かに受け止めてもらう時間であり
自分の内側にあるものを大切にする時間であり
自分を表現する喜びを、知る時間なのです。
こんにちは。アートあそびラボの苅部洋子(かるべようこ)です。
先日、ある人が、自分の生き方について
「自分という人間を表現する手段として、こう生きるしかできなかった」
と言うのを聞いた。
ある人と言うのは、オーガニックでお花を育てている
organic flowerfarm 吉垣花園 (yoshigakihanaen.farm)の吉垣和也さん。
お花を農薬を使わずに育てることに、理解が無かった中で
オーガニックにこだわり、そちらに舵を切った。その時の心境をこの言葉で表してくれたのです。
絵を描くとか、何かを作る人だけではなくて
普通に生きている、あなたも、私も、大人も子どもも、誰でもみんな
自分を表現して生きている。
自分を生きることは、自分を表現することなのだ。
たとえば
「粘土」を子ども達の前に置くと
彼らはどんどん不思議な形を作り出し
唯一無二の自分だけの形を生み出していく。
形として定まらず、行為として終わることもある。
粘土を落として、遊ぶとか
水で変化する粘土を見つめるとか
刺す、切る、等々
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=185x1024:format=jpg/path/s16f5c6a4ed31a9fe/image/ied3df95b0e43fa22/version/1647936034/image.jpg)
そこにそれを刺す。というのは他の人を納得させる理由はなく、その人の感覚でしかない。
他人にどう思われるかとか、造形的にどうか、などと考えないから、
1本の棒だけでも自分が表れる。
刺す、切る感触が心地よいとか、楽しい♪とかも
その人の感覚でしかない。
何者にも支配されず、自分の内側にあるものに従っていく。
つまり、自分で決めていく。と
その人らしさが表に現れてくる。
「なんかいい感じ」「グッとくる」「落ち着く」「楽しい!」「ザワザワする違和感」など
自分の内側に、理屈ではなく、それを感じる感覚があって
子ども達は、たぶん、それに従っている。余計なことを考えずに。
その感覚は人それぞれ違っていて
アートで遊ぶことを通して、それを表に現わしていく。
自分の内側にあるものを、表に現すのが「表現」
自分の内側にあるものとは、
感じ方、感性、感覚、センサーと呼ばれるものかな。
着るもの、食べるもの、何をするか、どういう仕事をするか、どう生きるか、等々
生活の中でも、人はそれぞれ自分の感覚で選び、自分を表現している。
0歳の赤ちゃんだって、ゆっくりさんがいたり、いつも動いてる人がいたり
「私はこういう人なの」と、それぞれ違う「私」を表現している。
↓↓同じ素材の表現も、人によってこんなに違います!
その内側にあるものは、
押さえようと思っても、にじみ出てしまう。
自分を全く表現しないでいる、なんて考えられない。
自分の内側に生じるものを、抑え込んでいると、いつか爆発し
自分や他人を傷つけるか、自分が壊れてしまう。
人は、自分を表現せずにはいられないのだ、きっと。
というか、自分でしかいられない。
そして、表現された自分を、誰かに見ていてほしい。知ってほしい。
否定されたら、いつか表現する事をあきらめてしまう。
評価されたら、他人の評価軸に合わせるようになってしまう。
ただ「あなたはこうなんだね」と受け止めてほしい。
アートだけでなく、生きていく事も
何者にも支配されず、自分の内側にあるものに従っていく。
つまり、自分で決めていく。と
その人が表れてくる。表現される。
自分を生きることは、自分を表現していくことなのだ。
アートあそびの時間は、
「自分という人間を表現して生きる」ために
自分は何が好きで、何を心地よいと感じ、何が楽しいのか
自分の内側にあるものを確認していく、表現していく時間であり
自分の内側にあるものを大切にする時間であり
自分の表現を誰かに受け止めてもらう時間であり
自分を表現する喜びを、知る時間なのです。
だから、やっぱり
子どもたちが、自分で決めて、表現するこの時間は
とっても大事なのです。
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