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自分を生きることは、自分を表現していくこと

アートあそびの時間は、

 

「自分という人間を表現して生きる」ために

 

自分は何が好きで、何を心地よいと感じ、何が楽しいのか

自分を確認していく、表現していく時間であり

自分の表現を誰かに受け止めてもらう時間であり

自分の内側にあるものを大切にする時間であり

自分を表現する喜びを、知る時間なのです。

 

こんにちは。アートあそびラボの苅部洋子(かるべようこ)です。

 

先日、ある人が、自分の生き方について

「自分という人間を表現する手段として、こう生きるしかできなかった」

と言うのを聞いた。

ある人と言うのは、オーガニックでお花を育てている

organic flowerfarm 吉垣花園 (yoshigakihanaen.farm)の吉垣和也さん。

お花を農薬を使わずに育てることに、理解が無かった中で
オーガニックにこだわり、そちらに舵を切った。その時の心境をこの言葉で表してくれたのです。

 

絵を描くとか、何かを作る人だけではなくて

普通に生きている、あなたも、私も、大人も子どもも、誰でもみんな

自分を表現して生きている。

 

自分を生きることは、自分を表現することなのだ。

 

たとえば

「粘土」を子ども達の前に置くと

彼らはどんどん不思議な形を作り出し

唯一無二の自分だけの形を生み出していく。

形として定まらず、行為として終わることもある。

粘土を落として、遊ぶとか

水で変化する粘土を見つめるとか

刺す、切る、等々

そこにそれを刺す。というのは他の人を納得させる理由はなく、その人の感覚でしかない。

他人にどう思われるかとか、造形的にどうか、などと考えないから、

1本の棒だけでも自分が表れる。

 

刺す、切る感触が心地よいとか、楽しい♪とかも

その人の感覚でしかない。

 

何者にも支配されず、自分の内側にあるものに従っていく。

つまり、自分で決めていく。と 

その人らしさが表に現れてくる。

 

「なんかいい感じ」「グッとくる」「落ち着く」「楽しい!」「ザワザワする違和感」など

自分の内側に、理屈ではなく、それを感じる感覚があって

子ども達は、たぶん、それに従っている。余計なことを考えずに。

その感覚は人それぞれ違っていて

アートで遊ぶことを通して、それを表に現わしていく。

 

自分の内側にあるものを、表に現すのが「表現」

 

自分の内側にあるものとは、

感じ方、感性、感覚、センサーと呼ばれるものかな。

 

着るもの、食べるもの、何をするか、どういう仕事をするか、どう生きるか、等々

生活の中でも、人はそれぞれ自分の感覚で選び、自分を表現している。

0歳の赤ちゃんだって、ゆっくりさんがいたり、いつも動いてる人がいたり

「私はこういう人なの」と、それぞれ違う「私」を表現している。

 

↓↓同じ素材の表現も、人によってこんなに違います!

その内側にあるものは、

押さえようと思っても、にじみ出てしまう。

自分を全く表現しないでいる、なんて考えられない。

自分の内側に生じるものを、抑え込んでいると、いつか爆発し

自分や他人を傷つけるか、自分が壊れてしまう。

 

人は、自分を表現せずにはいられないのだ、きっと。

というか、自分でしかいられない。

そして表現された自分を、誰かに見ていてほしい。知ってほしい。

否定されたら、いつか表現する事をあきらめてしまう。

評価されたら、他人の評価軸に合わせるようになってしまう。

ただ「あなたはこうなんだね」と受け止めてほしい。

 

アートだけでなく、生きていく事も

何者にも支配されず、自分の内側にあるものに従っていく。

つまり、自分で決めていく。と 

その人が表れてくる。表現される。

 

自分を生きることは、自分を表現していくことなのだ。

 

アートあそびの時間は、

 

「自分という人間を表現して生きる」ために

 

自分は何が好きで、何を心地よいと感じ、何が楽しいのか

自分の内側にあるものを確認していく、表現していく時間であり

自分の内側にあるものを大切にする時間であり

自分の表現を誰かに受け止めてもらう時間であり

自分を表現する喜びを、知る時間なのです。

 

だから、やっぱり

子どもたちが、自分で決めて、表現するこの時間は

とっても大事なのです。